2008年06月17日

命の重さ

例えば、ボクという人間が生まれてくる確率。


3.3×10の19乗分の1という天文学的な数字らしい。

ジャンボ宝くじで1等を当てる確率が1千万(10の7乗)分の1だから比べものにならない。

そう考えるとこの世に生まれてくる人は皆、めちゃめちゃ幸運な人です。

だから命は重く尊い。




人に限らず他の生きものもこの世に生まれてくる確率は、とてつもなく低いはず。

とすると、同じようにひとつひとつの命は重く尊いはずなのだけれど、実際にはそうでもないように思う。




ある海岸でのこと。

波打ち際を歩いていると、砂浜に打ち上げられた鳥の死骸が累々と横たわっていました。

話には聞いていましたが、南の繁殖地から北上する際に餓死したハシボソミズナギドリの幼鳥らしい。




ハシボソミズナギドリの死骸
(累々と横たわるハシボソミズナギドリ幼鳥の死骸)




ハシボソミズナギドリの死骸
(まだ新しいものもある)





幼生の生存率が低い生きものは、より多くの卵を生み子孫を残そうとします。

それはまるで「命」の乱発で、大多数の「死」によって種を存続させていみたいです。

見方を変えれば、個々の命は軽く、犠牲になるために生まれてきている。

と、思えます。




ハシボソミズナギドリ
(死後間もないと思っていたら)




少し歩くと綺麗な死骸がありました。

触ってみると、首を振るわせカッと目を見開く。



まだ生きている。



ハシボソミズナギドリ
(生きていた)





その顔は幼く、広島城でじゃれ合うスズメの幼鳥と重なる。




海に戻してやりましたが、すぐに砂浜に打ち上げられる。

どうしてやることもできず、かといってその場を離れることもできず、そばで見守っていると、静かに目を閉じたあと二度と開くことはありませんでした。




短い生涯が終わった瞬間でした。




種の存続のために犠牲になった幼生たち。

その命は軽いけれども、死には意味がある。

その死骸は他の生きものの生にもつながる。

(死に意味があるということは、命は重いとも言えますが)

一方、人の命は重く尊いが、例えばボクが死んだとしても、その死自体には何も意味がなし、人の死は生へとはつながらない。




生に意味があるのか、死に意味があるのか。

考えれば考えるほどわからなくなります。





ふと沖を見ると、同じ運命をたどるであろう幼子が波に身を任せていました。



ハシボソミズナギドリ
(ハシボソミズナギドリ)








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posted by SS at 23:12| 広島 | Comment(4) | TrackBack(0) | フィールドノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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